母国語を使わない人 (その一)
母国語を使わない人は頭の中で一体何を考えているのか私には本当に理解できません。
私は母国語が台湾の繁体字で、生まれも育ちも台湾です。(私が使用する漢字は台湾や香港で使用されている繁体字で、生まれも育ちも台湾です。) しかし、ある人は出身地も台湾で、ずっと台湾に住んでいますが、この人はサイトでは繁体字を一切使っていません。
もしかしたら、その人は台湾で育ったのではないのでしょうか?親中派なので簡体字を好んで使っているのでしょうか?
2016年から、その人が繁体字を自分の母国語とする書き方に改めるのを待っていましたが。しかし実際には、私にとってそれほど大したことではありません。
読者の利便性のためかどうかにかかわらず、結局のところ、簡体字を使う人がほとんどです。それとも、この人は子供の頃から簡体字で書くことに慣れているのでしょうか。それにしても、簡体字を使うというこの一点だけが、私は拒否感がありました。
ある人を嫌う理由をいくらでも挙げられるように、ある人を好きになる理由もいくらでも挙げられます。
ただし、あなたの本心に、どんな理由も必要ありません。(本当にその人を嫌っているのなら、わざわざ理由は挙げる必要ありません。)
不使用母語的人 (1)
我不能理解, 不使用母語的人心裡在想什麼。
我的母語是中文繁體字, 我出生/成長都在台灣。有人說他的出生地是台灣, 人也住在台灣, 但這個人卻不在網站使用中文繁體字。
也許這個人的成長過程都不在台灣? 也許這個人是親中的人, 所以這個人總是使用簡體字?
我在2016年就等這個人改成母語的繁體字, 但其實也不是什麼大不了的事。
無論是為了閱讀者的方便, 畢竟使用中文簡體字的居多。還是這個人本身從小就習慣用中文簡體字書寫? 光是使用簡體字這一點, 我就無法認同了。
討厭一個人真的可以找出很多理由, 和喜歡一個人一樣, 可以找出很多理由。
但真正的感覺是不需要理由的。